徳川時代、平和が続いた背景に「大名行列」が。
「戦う大名行列」を解く。乃至政彦氏インタビュー④
■改易された城の請取りに向かう軍隊
大坂の陣は徳川が豊臣に「改易」を求め、それに失敗したから戦となりました。
その大坂の陣が終わると、天下の公儀は徳川幕府に一統されることとなります。以降、幕府は200年近くもの間、軍事行動を取ることがなくなったかのように思われています。確かに大坂の陣に並ぶ大規模な戦争は、島原の乱(天草一揆)ぐらいなものだというのが大方の共通認識でしょう。しかし、実際には頻繁に軍勢を催して、各国の城を自落させているのです。それが大名・城主から身分を剥奪し城・屋敷などを没収する「改易」とそれに伴う城請取りでした。
改易の手順は次の通りです。まず領地を召し上げる城主の身柄を幕府が確保する。そのうえで幕府は周辺諸藩に軍法を明確にして、軍勢の動員を指令する。諸藩は公儀の軍役としてこれに応じる。軍勢は武装行列をなして目的の城へと移動する。 四方八方からやってくる大軍を前に、改易対象の城兵は手も足も出ない。いずれかのルートへ迎撃に出たところで、必ずどこかで突破されてしまう。どうやっても城が取り囲まれるだけなら、出張るのは無駄。野外で勇戦したところで、誰かが味方になってくれる時代でもない……このように、乱世の夢は大坂の陣できれいさっぱり霧散したのです。